愛知県みよし市の寺院 大覚寺とは…。
このお寺はお釈迦様、親鸞聖人、蓮如上人が明らかにされた一心一向の南無阿弥陀仏の御教えを聴き開く念仏道場です。
ですから、祈祷、お祓い、おみくじ、お守り、お札など迷信はありません。
この寺は貴族、大名などの寄進(←税金)によって壮健誇示されてきたのではなく民衆の浄財によって500年以上相続されてきました。
建物などは地元の大工さんを始め職人さん達によって作られてきています。
そういう意味では、打越を中心とした地元の民衆の真の意味での宗教文化財と言えます。
これからも真実の御教えを、苦難混迷の社会の中で共に聞き開いてまいります。
大覚寺の始まり
大覚寺の開基
大覚寺の開基は、客観的な資料によれば室町時代にさかのぼります。
本願寺第8世蓮如上人(1415~1499)の高弟・恵久(碧南市西端)の次子・勝覚が逢妻川をのぼって打越の地に移住し、念仏道場を開いたのが始まりです。
そして、安土桃山時代に大覺寺という寺号が許され、この頃に寺の形体が整ったものと考えられます。
以後五百余年に渡り、打越を中心とした御同行の熱心な尽力により現在に至っています。
現在に至るまで
(大賀ハス)
18代目にして現在に至っておりますが、13代の義円は宗学者、14代の霊雄は漢学者で南部小学校の初代校長、15代の雄岱は教育者として30余年弟子の教育に尽力し、16代の尹雄は布教家として全国各地で活躍しました。
1969年には門信徒さん達の浄財寄進により、本堂を再建、それと前後して境内地を拡張整備いたしました。
1974年には庫裡(木造)の新築や付属物の整備が行われ景観を一新、現18代住職が500年の法灯を守っています。
日露戦争の大本宮運輸通信長官、大澤界雄中将の生誕記念の碑もあります。
司馬遼太郎『坂の上の雲』にも登場する人物です。(15代住職の弟)
大覚寺の宝物
方便法身阿弥陀如来絵像
本願寺第9世の実如上人(1458~1525)の下附で、室町時代中期の作品です。絹本紺地裁金です。
美術史的にも高い評価を得た作品です。
この像は時代と所在が確かめられる物としては、みよし市では最古のものといわれています。
下の蓮如上人御筆六字名号についで大覺寺2代目のご本尊(現在は木像御本尊)でありました。
最近門信徒の力で表装のご修復がなされました。
縦85センチメートル・横38センチメートル
蓮如上人御自画像
寺伝に蓮如上人自筆自画像と言われています。
京都の本山にあったものを、高田専修寺の門跡が得度の折もらい受け、さらにそれを当地の郷士が 拝領し重宝として守護していたものを、当山がもらい受け霊宝として現在に至っております。
文明9(1477)年 9月、上人63歳のときのものと伝えられております。
蓮如上人 六字名号(南無阿弥陀仏)
裏書には、「六字名号 蓮如上人真筆也」とあります。裏面は長く本尊として掛けられていたことがわかります。
室町時代の中期のものと言われております。
大覚寺の初代ご本尊といわれてきています。